人々・学校・クラブ活動

このページでは、被災された学校・クラブ活動等についての現状や、皆さんの活動状況についてお知らせしていきます。

2012年3月27日(火)

気仙沼向洋高校 ~ 震災から1年 ~

気仙沼向洋高校 ラグビー部顧問の 昆 洋一 様よりメッセージを頂戴いたしましたのでご紹介いたします。

 

春の候、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

東日本大震災の後、早くからご支援をいただきました。

震災以降、気仙沼向洋高校に対してたくさんの方々による応援ありがとうございました。グランドでの交流など、部員のみんなはいつも楽しみにしております。裏返せば「ラグビーをもっと知りたい。」「もっとうまくなりたい。」という気持ちではないでしょうか。

 

あの日から1年がたちました。

震災直後の状況から比べると、ラグビー部の部員は、今とても有意義な高校生活を送れているように思います。

それぞれが多くの新しい出会いや体験をすることができ、向洋高校だけでは実現出来なかったようなことも多くありました。それらは選手たちの大きな成長につながったように思います。部活動が出来ることの嬉しさや支援していただいたことへ感謝など、震災があったからこそ大きく成長出来た部分が多くありました。

 

現在は全校生が一緒に仮設校舎で毎日を過ごしています。そして生徒たちの笑顔が多く見られるようになりました。学校のすべてが無くなり自宅も流されて何もかもなくなった生徒が、それを愚痴るわけでもなく勉強や部活動に一生懸命に取り組んでいます。

今年の3年生が残したものは、どのような状況に置かれても「前へ」進み続ける姿勢を後輩たちに継承してくれました。花園大会で流した涙は次の向洋ラグビー部へ受け継がれたと思います。

部員数は少ないですが、328日~31日まで千葉県にある日本エアロビクスセンターにて合宿を行います。被災した部活から強いラグビー部への再生を目指します。もうしばらく時間はかかると思います。どうか温かく見守って頂けたらと思います。

 

 

31日にラグビー部の選手たちも無事に卒業式を迎えることが出来ました。

卒業生代表挨拶には震災後の思いを伝えていた言葉があります。 


「ただ生きている、それだけで涙がこぼれ、嬉しかった」

 

私たちはみな同じ思いをしました。教員も生徒たちも、今生きていることに感謝し、この震災の経験を胸にこれからの人生を送っていくと思います。

 

生徒たちは皆様から頂いた思いや支援を忘れず、これからの社会で活躍してくれるものと信じています。

今後も多くの人との出会いを大切にしていきたいと思います。

末筆ながら皆さんのご健康を祈念しております。


 

2012年1月23日(月)

復興屋台村 気仙沼横丁 「石田ん家」店主

 

1月24日、気仙沼横丁にホルモンバーグ「石田ん家」がオープンします。店主の石田さんは、気仙沼向洋高校ラグビー部のOB。

お店のオープンにあたり、復興へ向けての想いをお聞きしました。

 

震災当日は、海の近辺にいて、車も動かせず逃げ惑う人々に戸惑った。
ラジオを聞いたら小名川に第一波が来たというニュースを聞き、自宅へ連絡したら、すでに避難していたので職場へ急ぐ。
職場も海のすぐ近く、あの恐ろしい様相の津波は目の前まで来た。

 

地震直後に戻ったときは、自宅にはまだ津波が来ていない状態で、地震による影響だけでさほどひどくなかった。


だがその直後に津波が来た。
津波は想像を絶する力で、我々から全てのものを吞み込み奪っていった。あの光景は今も脳裏に焼き付いて忘れられない。
 
翌日はまだ水が残っていて、ゴミだらけで壊滅状態であった。
見に行ったのは私だけであったが、そのあまりに悲惨な情景を、おじいさんやおばあさん、母などには率直に伝えることができず、大丈夫であったとしか言えなかった。
家族に動揺を与えたり、恐怖や絶望感を与えてしまうことを考えると、どうしても私の口からは伝えられなかった。
 
結局その後それを知ったときの家族の表情は、私の創造を遙かに超え、その落胆は表現できるものでは無かった。
今も、泣き崩れるあの瞬間の家族は忘れられない。

 

そして、震災後一ヶ月。


子供も生まれ心機一転した。
家族を養う責任と自覚が戻り、仕事に集中をようやくできるようになった。
命のすばらしさ、また人間の営みを感じ、ラグビーをやっていた前向きな自分に戻れた。


自分の心が整い出し、周りを良く見ることができるようになった。そうすると、身近にいた家族はもっと元気が無く、これまで一緒になって下を向いていた自分が恥ずかしくなった。
顔を上げて前向きに、復興と人生に本気で取り組まなければならないことに、あらためて気づいた。

 

そんなときに、舩引先生と大西さんとの再開と出会いがあった。

様々な皆さんのエネルギーに打たれ、後輩にも模範となるべく取り組みが自分の中でも見えてきて、自らが独り立ちして前進することを決断した。

外からの復興支援だけではなく、自らができることはまだまだたくさんある。


そんな思いで皆さんに相談をして今回のプロジェクトが始まった。

 

まずは私自身がしっかりと地に両足をつけて生活をすること、そして屋台村全体が成功すること。

 

その力が気仙沼全体にムーブメントを起こし、活気のある街の再生に向け努力したい。

 

 

2012年1月1日(日)

気仙沼向洋高校 ~ 元旦ラグビー ~

気仙沼向洋高校にて、気仙沼体育協会を主体とした地元のラグビー関係者による元旦ラグビーが開催されました。本年は震災の影響で実施が危ぶまれましたが、向洋高校の若手OBの声で、実施に至りました。

その模様の写真を、気仙沼向洋高校の船引先生より頂戴いたしました。

 

本年もよろしくお願いいたします。

2011年12月6日(火)

宮城県気仙沼向洋高校の、震災から現在までの活動レポートです。気仙沼向洋高校にてラグビー部の顧問をされている舩引先生より寄稿いただきました。

 

気仙沼向洋高校

向洋高校は3月11日の地震で津波が4階まで到達しました。周辺地域は甚大な被害があり、その場所での学校の再開は不可能な状況になりました。

 

被災当時

ラグビー部の生徒たちはグランドで練習をしていました。

尋常でない揺れを感じて、当時学校に残っていた200名以上の生徒たちと直ちに高台へ避難しました。

グランドに押し寄せる津波
グランドに押し寄せる津波

ある程度高台まで来て点呼をとっていたときに「そこまで津波が来てるからにげろ!」という住民の声で初めて津波が来ていることがわかり、さらに上方の避難所に指定されている階上中学校に避難しました。学校に残った職員もいましたが、津波は最上階の4階まで到達し、屋上に避難しても生きた心地がしなかったそうです。

 

3日後に見に行った時には周辺は瓦礫や海水で埋め尽くされ、ラグビー用品は、ボールはおろかスクラムマシンやゴールポストさえいっさい影も形もなくなっていました。

 

被災後の気仙沼向洋高校 校舎
被災後の気仙沼向洋高校 校舎

3校分離の中、練習再開

4月8日に、気仙沼西高にて在校生を集めて全校集会が開かれました。ラグビー部員を集めたところ、どんよりとして覇気が感じられず1カ月前までラグビーをしていた様子とは全く違っていました。家を失った者もあり、距離の離れた3校に分離することも決定していたので、後から生徒たちに聞いたところ「あの頃は、もうラグビーなんて到底できないと思っていた」ということでした。

 

その日の午後。同じ会場で新入生への説明会がありました。会の後、3名の生徒がやってきて云いました。「先生、俺たちラグビー部入ります!」。

鹿折ラグビースクールでラグビーに魅せられた3人。「俺たちで部員集めてきます!」仮入部期間も勧誘期間もないこの状況で・・・力がわいてきました。

5月3日練習開始(西高グランド)
5月3日練習開始(西高グランド)

 

5月3日 初めて部員が全員集合し、支援物資のラグビー用品のおかげで、練習を再開できました。

 

新入部員はマネージャー1名を含む12名。

2年生5名と3年生はマネージャー1名を含む12名。

 

5月3日練習風景
5月3日練習風景

部員たちは再びラグビーができる喜びを爆発させ、まさに水を得た魚のようにグランドを縦横無尽に駆け回っていました。

 

練習再開とはいえ、交通手段がなく、しばらくは週末のみの練習となりました。

 

 

 

県総体への出場

県総体への参加は顧問間では無理ではないかと考えていましたが、部員たちの強い希望があり、出場を決めました。残念ながら初戦敗退となりましたが、震災前にこだわっていたディフェンス力が目を覚まし、相手の強力な縦突進を何度も押し戻す場面があったので花園予選につながるゲームができました。

 

支援をいただきながら・・・

高校・大学・社会人と多くの団体から支援物資をいただきました。

 

7月16日には関東学院大学と株式会社安藤建設さんが気仙沼を訪れ、瓦礫運びとラグビーの指導をされました。向洋には炎天下の中、2日間も指導に来られて合同練習のような形式で向洋部員を指導してくれました。

関東学院大の春口先生、桜井監督をはじめ人間的にすばらしい両チームのメンバーの温かい指導に感激し、生徒たちも大変喜んでいました。

関東学院大学の今期リーグ戦での躍進は生徒たちに大いに力を与えています。

 

関東学院大学と安藤建設の指導(西高グランド)
関東学院大学と安藤建設の指導(西高グランド)

 

7月には、向洋高校ラグビー部OB会から、津波で流された試合用ジャージを新調してもらいました。

夏合宿を8月に八幡平で行うことができたのも、OBの皆さんの援助があったからです。

 

OBの皆さんからユニフォーム寄贈
OBの皆さんからユニフォーム寄贈
八幡平夏合宿(大阪朝鮮高校から寄贈)
八幡平夏合宿(大阪朝鮮高校から寄贈)

 

8月12日にはOB戦を実施することができました。OB達の再会を喜ぶ姿が多くみられました。

夏OB戦
夏OB戦

3年生最後の大会へ向けて

花園予選1回戦
花園予選1回戦

9月にはバス運行のおかげで練習は週4回まで増えていましたが、それでも全員が集まるのが18時。暗闇の中で短時間の練習になりました。

決して満足のいく練習量ではありませんでしたが、最後の戦いにかける3年生の意気込みは十分で中身の濃い練習ができました。

 

結果、花園予選は二回戦まで進むことができました。

二回戦の利府高校戦も後半追い上げてあわよくば逆転という場面もありましたが、一歩及ばず敗退しました。

 

練習中に被災し長い中断を余儀なくされましたが、見事に復活し、不屈の精神で戦った3年生。練習への姿勢や試合でのファイトは後輩たちの手本となり、この環境で言い訳をしないで最後まで勝つ気持ちで戦い抜いた姿勢には、敬意を表したいと思います。

 

新チームは2年生5人、1年生10人、マネージャーは1年生2名となりました。

ぎりぎりの人数で何とか新人大会に参加しましたが、残念ながら初戦敗退となりました。練習の絶対量がやっぱり必要だと実感しました。

 

仮設校舎に集合して

11月から仮設校舎に全校生徒が集合し、やっと練習をじっくりとできるようになりました。

もともと気仙沼高校の第2グランドとして使用されていた場所で、照明施設もあり、部員たちは取り戻すかのように練習が終わってもいつまでも残って自主練習をしています。(気仙沼高校の生徒さんたちには申し訳ないのですが。)

 

11月にはニュージーランドから会社社長のゲイリーモンクさんが来校され、ニュージーランドのクラブチームから集めた支援物資を贈呈してくださいました。ラグビー王国の懐の深さを感じました。

ゲイリーモンクさん来校
ゲイリーモンクさん来校

 

同じ11月に7人制日本代表監督の村田亙さん、気仙沼出身のスポーツライター大友信彦さん、気仙沼出身で東芝府中や日本選抜でも活躍された石川敏さんが来校され、指導や激励をいただきました。

村田亙さん来校(仮設校舎)
村田亙さん来校(仮設校舎)

 

そして大西一平さんには、3校に分離しているときから3度も訪問をいただき、ご指導を受けることができました。

 

ご多忙の中、寒風吹きすさぶ北の港町に単身で何度も来られて、生徒だけでなく地元の関係者が勇気をもらっています。

1回目の大西さんの指導(西高グランド)
1回目の大西さんの指導(西高グランド)

 

2回目の大西さんの指導(仮設校舎)
2回目の大西さんの指導(仮設校舎)

 

現在のグランドが使えるのも来春までのようです。本校は専門高校であるため実習施設がグランド全面に建設される予定です。グランドや空き地に仮設住宅が多く建設され、練習場所に困っているのは我々だけではないので、なんとか工夫をしなければと思っています。

 

一昨年、向洋高校ラグビー部は創立50周年を迎えました。まだまだ試練が続きますが、生徒たちの元気な声がグランドで響き続けることが、いずれ町の復興や活気に少しでも役立つのではないかと考えています。

 

支援や応援に対する感謝の気持ちを忘れず、これからも一歩一歩、歩んでいきたいと思います。今後は、生徒たちの思いや現状を少しずつでも発信していきたいと思います。